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行旅死亡人
本籍・住所不詳、氏名田中かね子、年齢七十歳の女、身長一五〇センチ位のやせ形、昭和四十三年の保護当時の着衣は夏物のオーバーを着て色違いのゴム草履をはいていた
右の者は、昭和四十三年六月二十七日海老名市相模大橋下でものもらいの様ないでたちでいたところを保護され、精神的欠如がみられたため秦和会秦野病院にて入院加療中であつたが、昭和六十二年八月七日午前九時五十六分心不全で死亡した、現在遺体は北里大学医学部に安置しているので、心当りの方は、当市市民福祉部福祉事務所社会課まで申し出て下さい。
昭和六十二年九月七日
神奈川県 海老名市長 左藤 究
行旅死亡人
本籍・住所・氏名不詳、年齢保護当時十八~二十三歳位、死亡時四十九~五十四歳位の女性、身長一五四センチ
右の者、昭和三十二年二月七日正午、水海道市坂手町内を徘徊中保護され、取手市大字下高井の常総精神病院(現常総病院)に入院中、精神分裂病が原因で昭和六十三年五月八日午後四時四十分死亡、遺体の引取人がないため死体解剖保存法の規定に基づき筑波大学医学専門学群に交付してあります。心当りの方は、当市福祉事務所まで申し出て下さい。
昭和六十三年五月三十日
茨城県 水海道市長 神林 弘
240MとT
行旅死亡人
一、本籍・住所・氏名不詳、年齢六十~七十歳位の男性、身長一六〇センチ位、頭髪短かく白髪交りで頭頂部かなり薄い、歯は、上下共総入歯、グレー背広上下、グレーカッターシャツ・毛糸ラクダ色腹巻、黒メッシュ靴、眼鏡、腕時計(オメガ二針ネジ)、黒皮小銭入(現金二五〇〇円入)等、所持品あり
二、本籍・住所・氏名不詳、年齢六十~七十歳位の女性、身長一四七センチ位、頭髪白髪交りで頭頂部(直径十センチの人造毛付)極度に薄い、上歯左第一小臼歯を除いて無し、下歯右側切犬歯が銀、左側犬歯有、第一、二小臼歯第一大臼歯入歯、黒ニットカーデガン、うす紫色の木の葉のブラウス、うす茶色のパンタロン、茶色のケミカルシューズ(二一・五センチ)、腕時計、青地に白菊模様のかさ、指輪(銀プラチナS60・2・24、MtoTと刻)、金指輪(菊花の刻)、茶布製バック、白と青の縦模様ビニールバック、ベッ甲ヘアーブローチ等の所持品あり
右の男・女は、昭和六十一年十月十九日、午前九時三十分、兵庫県城崎郡香住町一日市、八坂神社境内雑木林より縊死状態で発見、夫婦心中の可能性があり、死亡推定は昭和六十一年五月頃と思われる。身元不明のため火葬に付しました。お心当りの方は当町住民課まで申し出て下さい。
昭和六十一年十月二十四日
兵庫県城崎郡 香住町長 畑中 昌之
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行旅死亡人
本籍・住所・氏名不詳、元住所岐阜県羽島郡笠松町田代280番地、会社木曽川染絨(約30年勤務)、(自称)中井信夫、年齢69歳の男性、身長165センチ位、痩せ型、近眼、岐阜弁、黒色ブレザー、ズボン、所持品は眼鏡等(ケース含む)、キャッシュカード3枚、テレホンカード小銭等、入れ歯、診察券
上記の者は、平成6年6月1日午後3時00分豊能郡豊能町野間口157番地のヒノキ林内で飢餓体温低下に伴う全身衰弱しているのを発見されたもので、死亡日時は平成6年4月初旬頃と推定、遺体は検視のうえ火葬に付し、遺骨は当町野間口247番地浄光寺で保管しておりますのでお心当たりの方は当町衛生課まで申し出て下さい。
平成6年6月16日
大阪府 豊能町長 南殿 利正
行旅死亡人
2.本籍・氏名不詳(自称片山勝美)、男、推定年齢65~70歳、身長157cm、中肉、面長、頭髪は白髪交じり、所持品はなし
上記の者は、平成元年頃から大阪府羽曳野市古市6丁目2番16号文化住宅に一人で居住しながら同市西浦にある建設会社で型枠大工として働いていたが昨年9月頃から仕事に来なくなり、同僚が訪ねるも連絡なく最後に確認できたのは11月。12月25日同僚宅に遺書らしきものがあったため当人宅に赴くも応答なく再度訪ねたところビニールテープを玄関柱に掛けて首を吊り死亡しているところを発見されたもの。心あたりの方は、大阪府羽曳野市福祉事務所まで申し出て下さい。
平成 14 年2月8日
大阪府 羽曳野市長 福谷 剛蔵
238四時二十五分
一、本籍、住所、氏名 不詳
二、年令、性別 推定三十歳位の女
三、人相、特徴 面長、黒髪、パーマネント、足九文七分位、体格やや肥り気味、左乳房下に横に長さ二センチ位のきずあとあり。
四、着衣 白色アンダーシヤツ二、白色パンテイ二、毛糸製黒色セイター一、毛糸製黒色カーデガン一、紺色セールズボン一、肌色ナイロンストツキング一、薄もも色ナイロン製マフラー一、精巧社製八型腕時計一(四時二十五分を指して止つている)湖畔に黒皮ハイヒールと中ヒールの二足仁紺色雨ゴートあり。
五、死亡年月日 昭和三十五年四月二十九日午後四時頃
六、死体発見場所 青森県上北郡十和田町大字奥瀬字十和田一五番地の十和田湖自籠の入江(畔より約二米の湖中)
七、死因 投身自殺(溺死)
右は昭和三十五年四月三十日十和田湖畔の休屋共同墓地に仮埋葬したので心当りの者は申し出られたい。
昭和三十五年五月二日
青森県上北郡十和田町長 太田 豊実